虐待の連鎖をとめたい。

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私の母は、今で言うネグレクトや言葉・暴力による被虐待児です。そして、彼女は私を産み、ほとんどひとりで育てました。私はずっと母を愛し、尊敬し、憧れさえ抱いていました。「母の話を聞いてきたから、虐待なんて世の中で私だけは絶対しない」と思っていた私が、結果的に心療内科でカウンセリングを受けるほど育児に病んでしまった。その経緯をブログに書きたいと思います。

 

4年前、私もお母さんになりました。その瞬間、私は猛烈に母を憎みはじめました。その当時はまだ理由はわかりません。『産後ガルガル期』、小さな赤ちゃんを守るため他者を排除しようとする本能的なものかと思っていました。あくまでも一時的なホルモンのバランスの崩れなんだ、そう願っていました。

 

大好きだった母が、私や赤ちゃんのために手伝いに来てくれる。それが、全く嬉しくないのです。必要なことを済ませたら、早く帰って欲しい。こんなこと、もちろん本人には言えないので「ありがとう。助かった~」とヘラヘラ笑ってやり過ごしながら、「娘のために来る」と言う母親に対して、「なんで?」と言う心情でした。

 

幸い(?)夫は「お客様が来ることが楽しみ!」な人ではなかったので、なんとなくそれを口実に母の来訪を断ったりもしました。もしかすると、夫が「親に感謝しろ!孫を見せてやれ!」と強要するタイプだったら、私は崩壊していたかも知れないな、と思います。彼は、私がどんなことを言い出しても「ふーん」と言うタイプの人なので、この後の様々な葛藤も、割と早いタイミングで話せました。あ、それも全部「ふーん」なんですけどね。(笑)

 

ちなみに、『産後ガルガル期』のエピソードでは、「赤ちゃんを取られそうで姑には抱かせたくない」と言う話をよく目にしますが、私の場合、会いたくなかったのは実母と養父だけでした。それも違和感のはじまりだったと思います。一般的には『自分が親になってはじめて親に感謝できる』と聞くのに、なぜ私は感謝どころか憎しみを抱いているんだろう。なんて人間失格なんだ、と罪悪感でいっぱいでした。

 

結論から言うと、母は、私に取って『毒になる親』だったのです。祖母と同じように。私は、いわゆる虐待も性的虐待も受けていません。しかし、それこそが逆に自分を混乱させ、理由もわからないままどんどん自己嫌悪に陥り、我が子を素直に愛せない母親になるトラップだったのだと思います。私よりも酷い状況で幼少期や青年期を過ごした方々の苦しみに比べれば幸せな人生だと、そう言い聞かせたものが爆発した感じでした。

 

「あ、私、ずっと辛かったんだ……」それに気がついたとき、無くしてしまった大事な宝物を見つけたような喜びと、自分に棲んでいた恐ろしいモンスターを抱えながらこれから育児をしていくことへの絶望と、両方をいっぺんに味わったような気分でした。その気づきは、一瞬で覚醒するものではなく、もしかして?もしかして?と迷路を進んでいくような作業でした。

 

具体的には、第一子である息子が生まれて少しずつ「私、少しおかしいのかも?」と疑いながら、彼が3歳になった頃に(実親と、ある衝突があって)はっきりと自覚し、診療内科を経て、翌年4歳になるころには異常な苛立ちはほとんど起きなくなりました。この間に、取り返しのつかない事態にならなかったのは、私の心の強さ、などではないです。いちばん大きな変化は『素敵ママになるのをあきらめたこと』でした。

 

もちろん、完全に克服できるようなものでもありませんので、自分のモンスターをゆっくりゆっくり飼い馴らして、折り合いをつけていくことなのかな?と思いながら、まだ半分以上残っている育児期間に戦々恐々としています。でも、今は少し、解放されていく自分や、健全に成長していく我が子をイメージして、罪悪感や自己嫌悪と反対の道を進めるように、一歩を踏み出せるんじゃないかと期待できるようになりました。

 

今後は、順を追って綴ってみたいと思います。やっと、自分の中で整理していけるような気がしているので、お付き合い頂けると嬉しいです。迷いなく虐待してしまう母親もいるかも知れませんが、やっぱりだいたいは自分と同じように葛藤しながら毎日を過ごしたのではないかと思うのです。

 

虐待してしまいそうだ、とか、実際に虐待してしまった、と言うことは誰にも相談できません。他人にはもちろん、親しい人にはもっと明かしたくないことです。私が心療内科で言われた言葉「守秘義務のある第三者に話すのがいいですよ」、これにはすごく納得してしまいました。身体のお医者さんと一緒で、心のお医者さんも一発で治してくれる薬や治療はなく、やっぱり自分でどうにかするしかないんですが、ひとりで悩むだけが解決法ではないです。

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