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私にとって『毒になる母』

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母は、悪い人間ではありません。善意に満ちて、私を一生懸命育ててくれました。それでも、私は彼女を許すわけにはいかないんです。それは、どういうことなのか。この問題で、私が参考にさせてもらった『毒になる親』と言う書籍があります。そこから一部、説明させてもらいます。私は、この本の存在は知りつつも読んだことはなく、むしろ祖母から虐待を受けていまでも苦しんでいる母に勧めていました。また、購入したものの、全てを読んでいません。序盤に目を通した時点で、全身の毛穴が粟立つような寒気を感じ、客観的に理解したいと言う気持ちよりも、「いやだ。これは読みたくない」と拒否の気持ちが強くありました。

 

本には、自分の親が『毒になる親かどうか』のチェックリストがあります。みなさんはどんなイメージをするでしょうか。食事を与えられない、言葉で罵られる、暴力を受ける、性的暴行を受ける等、ニュースに出てくるショッキングなものを想像するのではないでしょうか?違うんです。それだけじゃないんです。私が特に当てはまると感じた項目だけ抜粋させてもらいます。

 

(一)あなたが子供だったとき

・あなたの親はいろいろな問題を抱えており、そのためにあなたは彼(彼女)の世話をしなければならなかったか 。

 

(二)大人としての現在のあなた

・何かがうまくいきはじめると心配になってくるか。自分が“ニセ物”であることを誰かに見抜かれはしないかと不安になるか。

 

(三)現在のあなたと親の関係

・親がどう言う気分でいるかはあなたの責任だと思うか。もし親が不幸だとしたら、それはあなたのせいだと思うか。親に幸福感を感じさせるのはあなたの仕事だと思うか。

 

私は母のカウンセラーだった。そして、人生のパートナーでした。小学生時代から、彼女が祖母から受けた仕打ちを聞き、共感し、慰めるのが私の役割でした。これは、子供だった私にとってはものすごく光栄なことでした。親に認めてもらえている証だと思っていたんですね。それが、つい数年前までの私たちの関係でした。それを歪だとも思わない。自分が『選ばれた人間』とも思ってました。

 

でも、そうすることで生き延びたんだと思うんです。母にはそのつもりは無かったでしょう。つい話してしまったら娘が親身になって聞いてくれた、本人も嫌がっていない。しかし、当時の私は一人で生きていける術はありません。幼少のころ実父と離婚し、母ひとり子ひとりで上京。次回以降、養父に関して書きますが、それも逃げ場になる関係にはなりません。私は母を常に察して喜ばせることが、平穏に暮らすための唯一の方法だったんです。

 

当たり前ですが、母の話を喜んで聞けるタイミングばかりではありません。子供にもやるべきことや、やりたいことがあります。でも、いつも必要なとき自発的に母の部屋に行きました。いま振り返ると、彼女が話を聞いて欲しいときって、彼女の部屋のドアが少しだけ開いていて、お酒を飲みながらため息をついて落ち込んでいる母が見えるんです。元気なときはドアは全開だったり閉まっていたりします。

 

あれは、意図的だったのか無意識だったのか。それはどちらも答えなのだろうと思います。だからもう「母がどう思ったか」の詮索は一切しません。自分の過去を振り返る際には、できるだけ、自分の感情がどうだったか、の一点に絞って思い出すようにしています。相手の気持ちなんて、100%理解することは不可能なんですよね。私は、自分が母の分身のように思ってきましたけど、めちゃくちゃな思考回路だったなと思います。

 

面白いのは、物書きを目指している私が独身時代に書こうとしていた物語は、『来世で娘が母を産み直す』と言うようなものでした。この思考に、私たちの共依存的な考え方が窺えるなぁと思います。

 

母と私は違う人間なんだ。だから、私とわが子も違う人間なんだ。そう言い聞かせている日々です。彼女の苦労には同情します。でも、娘である私の成長や人生が搾取されていい理由にはなりません。私は子供のときから母のお母さん役をしてきたのです。だから、子供らしく私を察してくれない我が子が許せなかったんだと思います。赤ちゃんにできるわけないですよね。でも自分の感情は混乱してしまいました。いまの私は母を切り捨て、憎むことで自分を保つようにしています。

 

「もういいじゃん、お母さんかわいそうだよ」、と思うこともあります。でも、我が子に敵意が向くことに比べたら、母を許せない自分への罪悪感なんて些細な問題だと思えるようになりました。

 

『毒になる親』でも、ハッとしたのが、『怒り』は向けるべき相手に向けなければならない、と言う一節。上司に怒鳴られた男性が家で妻に当たり、妻は子供に当たり、子供はペットに当たる。そんなこと当たり前、自分はこれくらい理解している、そう思って生きてきましたが、母からの圧迫は私にストレスを与え続け、私はその自覚もないまま我が子にその怒りを向けていたのです。

 

子供を産んで数年間。「なぜ上手に息子を愛せないんだろう」と悩みました。いまは、私だって人間だし、コンディションの悪いときだってあるし、子供の個性も相性もある。私の母親みたいに「24時間あなたを愛し続けているわ」と言う方が、子供にとって息がつまることもある。私が理想としていた愛し方が、実は私も息子も苦しめていることに気がつきました。いまは、ニコニコいつも微笑んで子供を見守る素敵なママは目指していません。

 

躾や虐待について語られるとき、たいてい『親は感情的にならず子供を養育すべき』みたいに言われますけど、「そんなの無理だって!(笑)」と思います。みんなそれが理想だよね、そう育てられたかったし、そう育てたいよね。でも、こんなこと実践できるのって、よっぽどその方法に向いている人だけだと思う。もちろん自分を律して子供に悟られず努力でやっている人もいるだろうし尊敬もしますけど、私にはできませんでした。

 

だから感情的に怒るし、日によってその線引きも変わるし、子供が可愛くて仕方ないときもあれば、憎たらしいから母親を辞めたいってときもあります。手作りで健康的な食事のときもあれば、ちょっと体に悪そうな塩分過多な外食で済ませるときもあります。子供を虐待してしまうかも、と一日中ネガティブな感情に支配されていたときは、割と「こうしなくちゃいけない」と自分でハードルを上げてしまっていた気がするんですよね。そのあたりの感情の推移なども、また後日綴りたいと思います。

 

『毒になる親』は、書籍でも購入できますが、Webでチェック項目だけでも見られるサイトがいくつかあったと思うので興味のある方は是非おすすめします。虐待まではいかなくても、自分の親(そして恐らく親になったときの自分)の傾向がわかると思いますよ。

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