母との決別

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さて。母と決別した日。その日は母と親戚と私たち母子で旅行に行きました。夫は仕事のため、途中から合流する予定でした。その旅行の少し前から、息子のアトピー治療に対して、母からいろいろ提案されるようになっていました。ただでさえ、医者の言うことも一貫性がなく、ネットで情報を漁りまくり、できる限りやっているのに、とっくに知っているような情報を持ち寄り、彼女はネットが使えないので私が代わりに調べ、買う必要がないことをレポートする。納得いかない母が泣いて怒る。

 

更年期もあるとは思いますが、何が正解だったんだろう?と思います。「お母さん、素晴らしい薬を見つけてくれてありがとう」「お母さんのおかげで息子のアトピーが治ったよ」そんな言葉だけを待っていたんだろうと思います。そんな簡単じゃないから、みんな困っているのに。彼女の勧めてくれたクリームが、科学的根拠がないこと、効いた人もいるかも知れないが温泉と一緒なんだと言うようなこと、説明しても説明しても、「死に物狂いでなんでも試してみるのが母親の愛情」と言う感じでした。

 

必死じゃなかったわけじゃなくて、一通り試してみて、息子の今の現状は塗り薬でどうにかなる問題じゃない、食生活と環境を見直してみようと言う方針を決めたところでした。彼女が、たまたま見たときに見つけた情報なんてとっくに確認済みだったのです。

 

そのころには下の娘が生まれ、そのお世話と息子の赤ちゃん返りに引き続きのアトピー、夜泣き。仕事も復帰していた上に、夫は体調を崩していると言う見事なコンボの最中、自分の寝る時間を惜しんでまで「母が提案するこのクリームが何故息子には必要ないか」と言うメールや、説得したり宥めたりする深夜作業。後に夫から、「断ればいいじゃん?」と言われて、確かに、なぜこんな忙しい中で母親を優先しているんだろう?と思いました。まだ、ぼんやりと。がっつり支配されていたんですよね。(笑)やっぱり文章にしてみると、また新しい発見があります。

 

そんなタイミングでの旅行で、決定的なことが起こりました。母に、「なぜ息子を愛してあげられないの?」と言う言葉を放たれたのです。私には、「なぜ息子を<私のように>愛してあげられないの?」と聞こえました。確かにもし母なら、全ての時間を娘(私)に使って治療に挑んだでしょう。それは、とても愛情深い行為に感じるかもしれません。でも、本人にとっては違います。献身的に看病をするのが好きなのです。誰かを自分のことのように心配したりする行為が好きなのです。

 

「なぜ息子を愛してあげられないの?」。図星でもあったと思います。でもね、母に対して「お前にだけは言われたくない!!!!!」って言う感情がぶわーーーーーっと湧いたのです。あなたが好きなのは、娘じゃなかった。虐待されて育ったのに娘を愛した自分、母子家庭なのに自分を犠牲にしてでも娘を育てた自分、娘の幸せを自分のことのように感じられる自分、あなたが好きなのは、あなたで、子供じゃなかったじゃないか…………。それを、愛だと?

 

じゃ、あれは何だったの?あのときは?あのことだって説明してよ!それも私を想ってやってきたことなの?全て私のために生きているような顔をして、私の将来や倫理観のことなんて全く考えない、自分の感情だけで動いてきたのは、お母さんあなたじゃないか。あなたは確かに私を愛してくれたかもしれない、でも『親として』じゃないんじゃないか。ペットを可愛がるのと同じだったんじゃないか。そんな想いが止まらなくなりました。ずっと、考えないようにしてきたことでした。

 

でも、そのときもまた、彼女のカウンセラーである私は何も言わず、30年以上ずっとそうしてきたように、「うん。そうだね」と言いながら旅行を終えました。

 

彼女に対して限界を迎えたのは、その旅行から帰って来てからでした。母から、「お母さんは気にしてないからね。これからもケンカしたりしながら、孫(息子)くんのために一緒に戦おうね!」と言うメールでした。ぞっとしました。今までは頭でコントロールしてた親への感情が、同情してあげよう、私だけは優しくしてあげなきゃ、触れちゃいけないことはスルーしてあげよう、と思ってきた感情が、スーッと消えました。

 

あぁ、この人は、私を揺さぶって支配して、私が私の夫とすべきことを、自分が代わりにやろうとしているんだ。私が本当の意味で妻や母になるのが嫌なんだ。あんたのパートナーは私(母)だって言いたいんだ。そう思いました。そして、いちばん腹が立ったのは、そのために息子と、息子のアトピーを利用されているように感じたんです。

 

そういえば。夫と結婚することになったときもいろいろあったのを思い出しました。私は遺伝的にちょっとした特徴があり、普段の生活には全く支障があるようなことではないものの、今までは「結婚に不利になるから黙っておきなさい」と言われてきたことを、結婚の挨拶に来た夫に、何の相談も前触れもなく母が話はじめたんです。これには同席した養父も唖然として、「いま話すことじゃないだろ!」と一喝してくれました。そして後で追求すれば、「そのことでいちばん後悔しているのは私だ」とキレて泣くのです。

 

はじめての報告、両家の顔合わせ、それぞれに小さなトラブルがありました。全て原因は母です。そのときに感じていたんです。「結婚を喜んでいないんだな」って。相手がどう言う人間かなどは関係ありません。それでも、このときまでは、「可愛い娘がお嫁に行っちゃって嬉し悲しい父親」みたいに好意的に受取ろうと思っていたんです。でも、やっぱり違った。結婚式で母が見せた表情は、私の成人式で喜んでくれたあの笑顔ではなかった。と思います。

 

今までもエキセントリックな母に振り回されることばかりだったのに、なぜか自分のことって自覚できないものですね。自分の部屋が欲しい、毎日友達の家に行って遅くまで帰りたくない、一人暮らしがしたい、全部その兆候だったんじゃないか。ごめん。過去の自分ごめん。でも、信じたかったんだもの。幸せに愛されて育てられた娘だって。複雑な家庭には育ったけど、全て向き合って乗り越えた強い女だって。そう信じることで生きてきたんだもの。そんなこと簡単に認められません。

 

でも実際は怖くて立ち向かえていなかった。妥協して、物わかりのいい大人のふりをして、母に合わせてきただけだった。だから、その怒りや、自分へのもどかしさが、幼い息子に向いてしまったんじゃないか、と思っています。これもまだ、自覚している感じではなくてカードを並べた結果を、他人目線で分析しているに過ぎません。母のことも、すぐに許そうとしてしまうんです。その方が楽だから。そうやって生きてきたから。

 

でも、息子のことだけは許せなかったんですね。そのころは息子に対して愛情100%とは言えないくらいの気持ちだったのに、許せなかった。自分のことはずっとずっと許してきたけど、息子も、夫も、彼女の満足心に利用されているみたいで許せなかった。そのせいで、爆発しました。また泣かれたら許さなきゃいけなくなるからメールにしました。向こうも気の強い人なので連絡も来なくなりました。そこから、年末年始や子供たちの誕生会など必要最低限&夫がいる状態でしか会わなくなりました。母に報告や相談をしなくていい日常が快適なことに愕然としました。

 

私は、今までの育児ノイローゼの原因のひとつが母親だったことに思い当り、これからは自分を自分で治さないといけないと思いました。原因がわかったから、すぐに自分が変わるわけではありません。息子を感情的に拒否してしまう気持ちを、いろんな角度からコントロールしていきたいと思いました。もちろん、感情を抑え込むことじゃなく、ひとつずつ納得して階段を上がりたいと思いました。

 

そこで、心療内科の受診を決めました。そのお話はまた次に書きたいと思います。あんまり書くことに集中すると、そのときの感情も甦ることもあるので、ゆっくりゆっくり。