子供“だけ”を愛してもだめなんだ!

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ご無沙汰しております。ばたばたしておりました。このところ、このブログの反響も含めてですが、自分の人生にとても大きな流れの変化があったような感じがしています。この数か月で感じたことをまとめてみます。

 

私は、「人の役に立てなければ生きている意味はない。愛される資格もない」と自分に課して生きていました。これに気がついたのは、ブログにも書いている通り、子供を産んだこの数年です。もちろん、自分にとって大事な人たちに同じ質問をされたら答えはNOです。「私はそのままの歪なあなたが好きだよ」と思ってきたのに、自分に対しては「利用価値がある」ことがとても大事でした。

 

妊娠し、仕事を辞め、“役に立てる唯一の砦”となった家事や育児をこなせなくなって、自分は何もできないから愛されない(愛されるべきではない、愛されるはずがない)、子供は何もできないのに愛される(愛したい、愛さなきゃいけない)、このジレンマが自分の中でのコントロールを失う原因だったような気がしてます。

 

自分って、バランスの取れた人間だったはずなのに(←当社比)、この違和感はなんなんだろう???ここから、私の『自分を探るプロジェクト』がはじまりました。若い頃は、自分探しの旅とか言ってる人ね、本当にバカにしてましたよ。「サバイバルで生き抜くのが人生だよ!」「悠長に自分探しなんかやってる奴に負けたくない!」「探さなくてもそこにいるのが自分!」そう思っていました。努力の甲斐があって、好きな人生を生きているつもりでした。だって、こんなに頑張っているんだもん。正当な報酬として“幸せな人生”を得て然るべきだ。

 

結論から言うと、私、自分の人生は誇りだったけど、自分のことは好きじゃなかったみたいです。好きじゃない、とも違うかもしれません。認めていない?受け入れていない?って言うか、努力しない私ってどんな自分?素の自分って何?そんなことを考えているときにご縁があって出会った方がエニアグラムの資格を持った方で、すぐにお話を聞きに行ってみました。※エニアグラムを勧めることが今回の趣旨ではないので説明は省きますが、『人間が行動を決定する上での動機』は9タイプに分類され、これは一生変わらない。自分がどれに該当するかを探りながら自己理解や他者理解を追及していくもので、18時間の初級編を受講してきました。これはまた別の機会に~。

 

で。自分のことを知るのって、面白いですね!自分のことって自分じゃ見えないんですね!私の場合は、見たくなかったのが大きいかな。一人で世界で戦うために、装備ばっかりが立派になって行って、鎧や楯や武器を手放したら裸で何もできないままの自分に戻る気がしていました。でも、その重いもの全部乗っけて歩いてきたんですよね。がんばったじゃん私!と、思えるようになってきました。

 

ひとつ、大きなことが理解できました。

 

1年前に、3歳だった息子がブランコから落ちて救急車で運ばれました。唇を数針縫う怪我でした。家族4人で公園に行った時のことです。私が1歳の娘と遊んでいると、遠くから夫が私を呼ぶ声が聞こえ、そちらを見ると顔中血まみれの我が子が抱えられて私の方に向かってきました。

 

その時の私は酷く冷静で、流血の状態や息子が泣いている表情から怪我の程度を推測、同時に救急車をどうやって呼ぶか、公園事務所までの距離、息子を受け取り妹をパパに預ける段取りを瞬時に巡らせ、事務所に着いたらタオルでの止血しながら救急車の手配のため夫から事故の状況を聞き出しまとめ、怪我や息子の様子と合わせて報告し、救急車を待つ間、家族別々で帰ることになるため夫に娘を託すアドバイスを伝えました。

 

息子に対しても冷静で、「こういう怪我だけど大丈夫。絶対に治るけど病院に行くまでは痛い」と言うような声をかけていたと思います。多分、無表情だったんではないでしょうか。

 

これって、対応としては“優秀”だけど、冷たい母親に感じませんか?私は後になって、やっぱり私には愛情(いわゆる母性)の資質が低いのだなと思いました。我が子が心配で「○○ちゃん!?大丈夫?可哀想に!」と寄り添ってあげるお母さん、あまりの衝撃に動けなくなったりパニックになってしまうお母さん、考えるより前に走り出して病院に向かうお母さん。その様な母親像が一般的ではないでしょうか。でも、自分は普段よりも冷静に、いかにこの状況を終結させるかを考えていました。

 

私は冷たい。

 

私は優しいお母さんにはなれない。って思ってました。

 

でもね!!!!!違ったんです。

 

人にはそれぞれ個性がありますよね。最近学んだことでは、どうやら頭・心・身体と優位な部位もそれぞれに違うらしいのです。私は、頭を使って考えることが得意なタイプのようです。だから、子供が危険な状態だからこそ、得意な思考能力を使ってその場を乗り切ろうとしていたことがわかりました。母親レベルが低いんじゃなくて、子供が大事だからこそ、他の能力を停止させて、頭をフル回転させて私なりに子供を助ける方法を選んだんです。思いやりある言葉をかける余裕がなかったことが逆に、子供を愛する証拠だったんです。

 

それを認めてあげたら、いろんな、私なりの子供の愛し方にも自信を持つことができる気がしました。私、そんなに悪い母親じゃないんじゃないかって。

 

私は、信じられる大人に恵まれない子供時代を過ごしました。サバイバルを一生懸命生きて、強く賢くあろうとして、素の自分を好きになる機会を失ってきたのだと思います。それを、子供を愛することで挽回しようとして、失敗しました。自分を愛することと、子供を愛することは全くの別の作業で、でも、とても強く繋がっているように思います。

 

子供を愛せない、子供を愛しすぎる、とにかくそのバランスを失って苦しんでいるお母さんやお父さん、自分のこと、好きですか?洋服を買ったり美容室に行ったり、そういうことで満たされる部分じゃなくて、誰の役にも立てない無力な自分になっても、生きているだけで私は祝福されていると満ち足りている人は、きっと子供に向けても自然にそのように思えるんじゃ思うのではないのでしょうか。

 

生きるために理想の自分に近づける努力も大切なことだと思います。私もそうだったし、それは無駄じゃなかったと信じたい。でも、そうじゃない自分もちゃんと大切で、それがどんなに人間的に最悪で自己嫌悪してしまうような自分でも、せめて自分くらいは自分を好きでいてあげないといけないのかもしれない。そんな風に思えるようになってきました。

 

ちょっと面白いことを友人に教えてもらいました。自分の名前(フルネーム)に“さん”をつけて、ありがとうございますと10回くらい唱えてみる方法。あっさり言えればそれでいのですが、前に書いた「お母さんが不幸になってもいい」が言えなかったのと同じように、私はできません!!!すっごーーーーーく抵抗があります。(笑)これを口に出していくことに違和感がある人が自然と言えるようになる時、なにか変化があるかも知れない。

 

「爽田するめさん、ありがとうございます」

 

あ、これは本名じゃないから、実際は違いますけども。新姓でも旧姓でも、想像するだけでいやーな気分になります。育児しながらセルフケアするのも難しいのですが、ちょっと意識するだけでも流れは変わるかもしれません。親に愛されたかどうか、子供を愛しているかどうか、いろいろあると思うんですが、まず自分で自分を好きになるのが先決なんじゃないかと思うこの頃です。

 

私は、そうしたいと思っています。

 

ただそこにいるだけで、あなたには価値があるんだよー!と言うこと。

 

です!